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11/27

●やたらサムネ映えする
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でも、クリックしたらそーでもなーい\(゚ワ゚)/

以下、思ったことメモ。
・正面は立体構造を伝え辛いから難度が高い (これは前にも書いた)
・単に斜めってだけでなく寝かしたりすれば面白い、でも描けn(ry
・縮小を活用したほうが上手く見られるんじゃね?www
・「首が見えないのは気持ち悪い、もっと首を強調すべき」
・目と鼻でもっと個性を殺した方向性にすべきか?
・骨格を少し学んだので鎖骨の位置は少しだけ把握できるらしい

 首について。正面付近方向からの絵では虹絵に限らず、首と頭部の連結がアゴに隠されてしまいがち。個人的にこゆのは第二直感(※1)で違和感を覚える。第一直感で捉えれば見慣れた絵であるが、ゲシュタルトを少し崩壊させれば「繋がりが存在していない」ように少し思えるのだ。角度と髪型を調整して、首-頭部を強調しないと人体がマス(塊)にならないように少し思える。↑はエビナんの雰囲気を残しつつ――ってのがパッと思いつかなかった。ダメそうなら、キャラデザの変更も考慮すべきかもなー。エビナんは「前髪奇数毛束系&左右やや広がり系&明色系」であるが、細かいところではまだ固まってないし。
 顔の個性ウンヌンは、今まで検討してたことと真逆の思考だ。単に秋田って部分もある。でも同時に、一種の限界っつーか厄介な問題も認識してるからでもある。虹絵的な可愛さって、多分基本は「最小限で最大限の効果をもった線」で構成されてるってことになると思う。力及ばねーと思う。思うし、ではその高みに向けて一直線に登ろうとすべきなのか?って疑問が湧く。
 ここら辺は自分の動機が関係する。自分は、自分の世界にカタチを与えたいから描くし、また書きもする。時には歌うことだってある。世界が一応の知覚対象として存在可能なだけのパラメータ量を目指している。だから、パラメータ自体には拘るつもりがない。拘るとすれば、それが最善手だと現状で判断しているからに過ぎない。最善と思える方向が、後で見返したら違うよってなるのは仕方ないと割り切っている。徒労は辛いが、かといって最初から最善手が見えるとはとても思えないから。歩くこと、歩いていける力をつけること、ガケに落ちないこと、そんだけが課題だ。今のところガスだらけで、高みの方向はイマイチ見えてない。
 虹絵ってのは自分にとって検討すべき価値が大いにあると思えるパラメータだ。少なくとも、神クラスがもつ予備説明もなく1枚だけで「か可愛いれすぅ(>q<)」と思わせてくれる破壊力は、必需ではないかと思う。エロさ・可愛さ・グロさ・カッコよさ等など、各種の属性を単品だけでもビシッ!!と伝えられるってのは、凄く憧れる。
 ただ、絶対視はしない。だから時に反証を試みることだってある。それが一時の思考実験に終わるかは知らない。知らないが、思考実験を事前に止めるようクギを刺すことはしないし、始まっても(リソース配分の都合とかがなければ)止めさせない。過去・現在・未来、現状・理想、最善・最悪……何か何であるかは、自分の帰結が決めることだ。意志・魂・精神・意識・思考・直感・無意識・心・感性――そゆのを全部ひっくるめたものが、”帰結”だ。私はある種の結論に至った、ある種の行動をとった。そんだけが帰結であり、私が認識する物語性は全く持って問題でない。それは、過程だよな。
 そう、「何が良いか」という認識自体、自己物語性であり、過程だ。過程があること自体は当然だが、過程を帰結に直結させる気はない。今日の信念が、明日の信念であることを正統にするのは、自分の物語次第である。今の自分が1秒後に何であるか、1日後、1週間後、1ヵ月後、1年後に何であるかは、自分の予測可能な範疇を超えているのだ、本質的には。予測可能と思うのは、物語性を通してみるからだろう。マンガの展開が何となく予想できたりするように、自分という精神物語なら何となく予想できたりもする。
 閑話休題、虹絵ってカテゴライズも恐ろしく曖昧でテケトーだ。それは分る。分るが、細分化して捉えることも、またカテゴリ分けすることも今の自分には出来ない。つまり、自分はこの虹絵という事物の構造を全く把握できてないのだ。どういった構造化、どういった機能を持つか、全然知らない。だから、思考実験はぶれて当然だ。もっともらしい仮説すらロクにない、だから様々な仮説が生まれる余地がある。虹絵にできることは何であるか、虹絵を自分の世界に適用させた場合の長短はどのようなものか、そゆのはまだ仮説すら持てていないのだ。

 長くなって分り辛い。単に鼻属性がついただけかもなー。鼻とかあんまり描かなかったんよ。ただ、簡易な目には鼻が似合うのかもしれん。
 
●思考を駆動させるにはリソースを占有させることだ
 今日はイマイチ気力がなくて、少しもペンを動かせないよな状況だった。で、お気に入りを巡回したり、保存をフォルダを流し見してたりしたら、少しはペンが動いた。疑問や課題が内に湧いたから。様々な絵に触れることで、意識的にではなく、帰結が生まれたのだ。今の自分が半年前と違うところと言えば、別に画力だのは大した問題でなくて、多分、”帰結に至る”という認識を持てたことにあると思う。山は遥か彼方なので、数kmの違いは全く問題でない。死なずに登れるか、折れずに登れるか、それがもっと肝心だ。意志でなく帰結を問題とするようになれたのは、山登りという観点では改善にあるのではないか、今はそう思っている。誤解を招く言い方をすれば、「前よりも自然体を身につけた」ってことだ。柔弱に少しは近づけたかなーと。もち、まだ強張ってる面はある。こゆ風に長文書き殴ることとかな(w。ただ、ここら辺は言葉を強化するための好き勝手運動を兼ねているので、禁止し辛いのだよあなぁ(w。

●動きは相変わらずの課題だ
 描けないっつーよりも、体が体勢に帰結しない。顔があり、首があり、体がある、そんだけ。ムリクリ動きを与えることはできなくはないが、帰結ではないんだよなぁ、まだまだ。顔だけなら、ときおり帰結に近しい感覚らしきものはある。描きたいとか描けたでない、描いたって感覚。首から下は、ほんと描きたい止まりだ。走り込みが足りないのか、あるいは別の要素か。ただ、検討策がすんなり思い浮かぶのは走り込みだ。フォルダから色々な体勢を持ってきて、描けばいい。疑問点は、どの程度のリソース配分で望むのが最大効率かってところ。1枚を全力で模写すべきか、およその線を捉えるべきか。あるいは、トレスでもいいのか。ま、少しづつ感触データをとる他ない。とりあえず、土日あたりの課題かにゃー?

●第二直感的にみれば
 顔面とは頭部に張り付いたテクスチャだ。頭部は首という筒に支えられて胴体に乗ってる、くっ付いてる。顔も胴体も適切に描けばマス(塊)に見える。問題は四肢だよなぁ。こいつらはあんまりマスに見えない。胴体側はいいが、関節付近に来ると伝わってこない。なぜこいつらは曲がっているのか、時には宙に浮いているのか、伝わってこない。
 ただし、脱力させてある場合は、NOTマスさが良い場合もある。例えば、寝転がってるシチュ、四肢は放り出されていてもいいわけだ。マスでないほうが、適切であることもあるさ。
 筋肉を強調したり、負荷を強調させてマスを強調するって手法はある。あるいは接地・接触させて、マスとの連結を描くことだって出来る。出来るけど……「ほとんど脱力したまま宙に浮いてる」状況を伝えるのは、難しいなと。

●ちなみに
 髪はよほど毛束を強調しない限りは、マスではない。仮称としてパーツと呼ぶか。衣服なんかもパーツだね。手・指もパーツで、そうすっと腕って中間なのかもなー。つまり、胴体がマスとしての表現されるべきであるのに対して、腕はやや別の要素を含む、と。案外、デフォルメされた”手なし腕”は、パーツとマスの中間性を追求した結果と言えるのかもなー。

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※1
第一直感「情緒・雰囲気」、第二「構造の正確性」、第三「微細構造の精緻さ」

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