●人体の関節、球体関節、ウダウダ

人型を上手く描くというのは、心底難しい。中々上達してる気配が感じられない。慣れては来てるが、それは数値のばらつきがなくなってきた、コンスタントに描けるようになってきただけ。最大値はあんまり変化してない気がする。
リアル人体を反復訓練するってのは常道にして王道である。また、筋肉や骨格構造を理解することも大事だ。それは分る。突き詰めていかずに描けるオブジェクトはないのだから。ただ、「人型と人体は同一ではない」のだ。人体を上手く描くには人体を描くしかない。では、人型はどーか。人体を覚えるほどに、人体の細部構造を仔細に理解する必要はあるのか。バランス感覚は要るだろう。でも、それはどれだけ不足してるのか。
いや、最も不足してるのは「人型とは何か」ってことだ。人体を何遍も見てきて培ってきたテンプレで理解される姿形のカテゴリであることは確かだ。「人体っぽいもの」だ。では、どこまで人体に見えるのか? どこを押さえれば人体っぽくみえる、どこを外せば人体っぽくなくなるのか。分らない。言語的思考でも、直感でも、全く反応がない。
これは昨日の文章にもつながる。自分には、マス(塊)という概念に対するコンプレックス、思考課題
が存在する。きっかけは人体写真集か何かで「日本美術って伝統的にも現在も、マスの要素があんま無いっすよね」って下りだ。文章が客観的に妥当なのかは知らないし、日本美術ウンヌンにも大して興味は沸かない。ただ、マスという概念を初めて意識させられたのだ。他者の絵はどーでもいいが(※1)、少なくとも自分の絵にはマス度が全く無い。では、増やせるように考えてるみるのも一つの試行として採用してよいのではないか。そう思った。
人体を下手糞に模倣した結果として生まれる人型は、見るに耐えない。もちろん、マスではない。ふと、マスを強調してみてはどーかと思う。マスの強調法はイマイチ分らない。描きこみ、情報量を増やせば、影やテクスチャを用いれば可能かもしれん。ただ、今の自分にはあんまり出来ないだろーな。また、人型の強化には直接繋がらない。人型を上手く描き、マスを上手く描く方法はあるのだろうか?
球体くらいしか今は案がない。今のところ上手く描けないのでポテンシャルを把握できてないっす。ただツラツラ思うのは、一部分に、例えば関節に球体を採用するデザ例は五万とある。子宮イメージなんてのもあったな(BLAME。ついでだから、自分の発想を追及してみるか。上手くも無い絵で、名作を汚すのはあんまり好きじゃない。ド下手は描くなってわけじゃない、ただ公開するのは気が引けるんよ(※2)。
頭部・胸部・腹部(三身)は存在、生命活動の集約点のように思われる。チャクラの概念を単純化したよなイメージ? なら、それらを強調したいな。で、球体を強調するなら球体の繋ぎ方も大事だ。曲面が伝わるように、薄いゴムっぽい何かで覆うとか。一部を露出させるのも手だな。頭部はイチバンの課題だ。単に球体を強調するだけだと可愛さ・人間らしさを損ない兼ねない。人型限界を超えてしまう恐れが強い場所だ。三身を同サイズ・一直線で構成すれば描くのは楽だが、頭部の人間らしさを残すなら後ろにずらさないとキツイかな? あと、やっぱり被覆は上手く描けない感じだね。
ねむいーい\(゚ワ゚)/
んむいいい\(゚ワ゚)/
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※1
人は様々な属性を帯びてるわけで、出力形である絵もそうだ。好めるもの、好めないもの、色々ある。全て拾うことなど、心が動かないし、またリソースが足りない。労力がかかりすぎる。だから、自分の好みに偏るのは致し方ない。ただ、それは取捨選択、有限の中で選択した戦術戦法に過ぎないわけだ。選択が最善であるか、次善か最悪か、それは時間の経過ととも徐々に理解していく他ない。遠く思える他者性とは、自分が得られたかもしれない最善に思いを馳せること、自分が進んだ道が最悪であるかもしれないと不安に思うこと、両面のイミで自分の外を意識させてくれるポテンシャルを帯びている。いつもいつも他者性に意識を向けるのは疲れるし、多分得られるものもない。でも、時折、他者性に触れて、自分の外にある可能性に意識を向けて、揺さぶられるべきなのだ。涅たんの名セリフを思い起こせばいい。出力することを望む以上、充足と渇望の間を行き来することは必然で、また回避すべきではない。
だから、「他者はどーでもいい」ってのは、今んとこ意識リソースを向けたくないってことなのだ。あまり厳密でない言葉遣いだが、普段心のうちで厳密な言葉を用いてるわけじゃない。日常用法に従えば、やや本質以外のものを含むが、自分の常をストレートに表現できる。様態を無加工で提示することが、様態の向こうにある真実を伝えることそのものであるわけではない。「どーでもいい」という時、けっこう微弱に意識してんのだ。本当にどーでもいいことは、あんまり思考に登らない。
※2
全力を尽くした絵、下手な絵、手抜きナ絵、そゆのを投稿することには今のところ一定の意義があるように思っている。投稿習慣があれば意欲の安定化に繋がる。そして、見せること自体の訓練にもなるかもな。だから、公開は一定程度意識する。でも、ま、まだまだ下手ッピ(キスケ)なんでブログ裏でウダウダやりたくもなる。長短あい半ば。
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