祝・昭和84年!!\(゚ワ゚)/
●紅白雑感
ポニョ曲から見た。といっても、本を読みつつ気になったのだけちゃんと観た。
ポニョ…ほんと日本人はペド傾向が強いなぁ
森山直太郎…ちょっと”さだまさし”を連想したわ
小林幸子…これなんてダスキンもpp(ry。でも、プロ意識がビリビリと感じられて、感銘をうけた。
天童よしみ…ギターかっこよす。それはそうと歌詞の「山が燃える」を「恥丘か乳房が熱いんですね、分ります」とか連想した俺オワテル。「一緒に越えたい天城越え」の下りも実にえろ(ry。
SMAP…目を瞑って判断するに、木村さまの声がもっと俺好み。
氷川たん…俺が隠居老人なら「氷川さんは俺の孫!」って言う、かも。
●蛍の光
これだけ別項な。いや、字幕の「スコットランド民謡」が気になったンよ。だって、UKの民謡でこゆ歌詞があるはずなくね?
……
…
はっ、やっぱり戦前の原曲レイプか( ゚д゚)、ペッ
戦前戦中の精神・文化を全体として批評する気はないが、こゆ風に端々で鼻に付く部分は、確実にある。でも、ま、それを正・悪で論じる気はない。時代には時代ごとの時流がある。正・悪で論じるなら、人類文明全体を俯瞰するよな思考でもって論じなくては、少なくともそゆ試みを一時でも試行しなくては、偏った結論しか出ないだろう。少なくとも、自分はそう思うので、やらない。
だから、端的に言えば「自分の美学に反する」と思っただけ、だ。翻訳ってのは字数その他の制限があるから必ずしも原文のニュアンス・情報をそのまま変換できるわけじゃないさ。だから、訳者なりアドリブというか、創意工夫が混ざるのは致し方ないし、またそれは魅力を付与することに繋がる言わば創作行為なのだ。二次創作な。
で、「二次創作は原作に忠実であるべき」と言うつもりはない。ただ、帰結毎に、自分が自分としての判断基準で快不快を判断するのみ。今回の事例では、原作?の精神を全く考慮していない、むしろ意図的に踏みにじっているようにすら思う。踏みにじることは上手くこなせば”笑い”になるのだけど、そゆ意図も感じられない。ただただ、自分の主観は、不快と判断する。少なくとも、自分は原作?に通底する精神を軽視できない、一定の価値を見出しているからな。無碍にして欲しくはない、そう思う。
で、こんだけ描くとまるで紅白の舞台で歌ったことを非難しているよーにも取れるので補足しておくと、特に気にしてはいないんよ。今のよにアンテナの感度を上げた状態で、よーやく知覚できる程度の弱い不快感・違和感なのだ。文章というもんは、思考を、感情を意図的に増幅させて、加工して出力することもある。意識の底にある不快感・違和感をあえてカタチにしてみたってだけだ。
白か黒かじゃねんです。混ざりきってない絵の具のよに、複雑な模様を描いてるもんなんです。「蛍の光」という曲に対しても、メロディー・歌詞・歴史etc...といった複数の評価項目があるのだ。自分は自分の美感において、項目の一つに”愚劣”という評価を下した。だからといって、評価項目の一つを重視するかは、自分次第だしなぁ。自分が左翼思想に嵌ってればもっと別の方向性に流れるでしょうが、そゆマイ・ブームはないです。極端な右も左も不愉快だけど、そゆ思想を社会から排除していくよーに努力する気は、今のところない。
ただここら辺は「思考する・意識する・言葉にする」行為をどのよな意味合いで捉えるかによると思う。職業文化人みたいなヒトなら言葉=お飯だし、セミプロさんも同じ気構えを持ってるかもしれん。で、言論の世界ってのは基本”無法地帯”だと思う。自分の発言を、自分のあずかり知らぬところで批評される可能性ってのは、オン・オフに限らず存在する。言葉で殴られる、撃たれることだってあるだろう。そゆ言論世界の無法性・殺伐さは認識しているつもりですので、強い自覚を持ってる方に「貴様の思考は実に誤りが多い」と言われても仕方ないと思ってる。挑発行為だと認識されても仕方のないことだなぁと思ってる。
それは分ってるが、ま、あんまり当たり障りのないことばかり言っても自分が面白くない。人間、少しは”小悪”じゃないと面白くないんよ。悪戯っ気や毒気といった要素を含まない思考・言説なんて、宗教界で生きてない自分にはとてもじゃないが欲せないのだ。
●とどのつまりは
”甘噛み”を覚えたいンよ。少し痛いが、でも致命傷にならない程度の噛み具合を会得したいと思ってる。攻撃であり、交友であり、悪戯でもあるよーな、そゆ噛み具合を修得したいのだ。自己のうちに発生した不快感はカタチにしたいものであるが、だからといって他者攻撃の意図は大概あんまり含まない。ただ、出力を欲するのみ。他者を攻撃したいのなら全力をもってするけどさ、そーでない部分は無加工のピュアなカタチで出力したいと思う。単に不快感・違和感を覚えたのなら、そいつに適切な言葉を与えるだけだ。
ただ、ま、攻撃性の裏返しでもあるとは推測できる。自分は「完全な力は加減可能である」と思ってる。達人は相手の力量にあわせて如何ようにでも実力を調整できる。極論すれば相手を殺したいと強く願っているときは相手を殺せる言葉を紡ぎ、相手を強く愛しんでるときはこちらに惚れる言葉を紡ぎたい。だから、「自分は今現在どのよなカタチを理想としていて、どのよなカタチしか出せないのだろう」ってたまに考えるのだ。書くことにしろ、描くことにしろ、な。別に博愛主義者なんじゃない。今は強い破壊衝動がないから、開放する必要がないから、あまり力まないだけ。強く他者に影響を与えるよな言葉に対する憧憬は確実にあるが、それは最終目標だよな。
だから、自重はするけど自重しない。自分の感性において思うところがあれば従うが、なければ従わない。他者性、外部は無視できない参考資料ではあっても理想形そのものとは断言しない。ただ見つめ、従うべきと思えるなら従う。攻撃性においては、今のところ、業火のよな熱量を目指すべきって気は全くない。当面は、とろ火でいいのかなーと思ってる。それが”甘噛み”だ。違和感・不快感は表明するだけ。あんまり論理武装に拘る必要性は、今のところ(※1)感じていない。
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※1
自分は「今のところ」や「今は」「現在は」といった表現を使うとき、根底には可能性を狭めたくないって思いがある。この瞬間の自分が数秒後に全否定されても構わない。自分はその時々で自分の底から湧き上がる感情・衝動に従うのみ。自分にとっての自分とは自分タグで括られたワーキングメモリー・長期記憶でしかなく、だから他のタグが変わろうが無くなろうがどでもいい。
と底から思えたらいいのだけど、実態は微みょん(庭師)かもなー。あんまりにも心変わりが早いと「俺って最低だorz」って思っちゃうよな。ただ、ま、こゆ思考が思考の一貫性を保つ上で効力があるよな気もするので、変更すべき点ではないよに思ったりもする。「全体としては緩やかに変わりつつも、細部では即座に変わっていく」のが理想かしらん?
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