●椎名先生だから反応してみる
http://scrapsteel.web.infoseek.co.jp/
↑で紹介されてた↓
http://www.heiwaboke.com/2007/03/winny_6.html
絶チルは、アニメで少し見てたら展開が気になって、5巻くらいまでブクオフで買ったら嵌ってしまい、「えぇい速攻で全巻買ってくれわぁ!」と翌日本屋に走りましたよ、と。初期は絵柄がちょと自分の好みからすれば古臭いし、展開もこなれてないから少し違和感を覚えることしきりですが、最近の巻になると諸手を上げて高評価できる。といいますか、最新刊近くの薫たんが可愛くて(以下略。
社会人として何らかの職業に従事してる人なら、その人なりの矜持を持ってたりするもんだ。縄張り意識が強い傾向にある男性なら尚更な。だから、毒を吐きたくなるような気持ちってものは、実感として理解できる。表現がちょっと露骨すぎるのは拙いのだが……その、作品を丹念に読んでる身からすれば、あんまり違和感を覚えなかったり。そゆ人っぽい気配はあるしなー。
自分の矜持に照らして語るなら、まあ、「氏・ね・よ♪」って思ってしまうわな、と。言う・言わないは別だけど。自分の理屈は「他人の褌で自己顕示してんじゃねーよ」くらいなもんか。描くプロ、編集するプロ、印刷するプロ、配達するプロ、お店のプロ、批評するプロetc...そゆ一つの作品に携わってお飯食ってる人たちがいるわけだ。実績を核として自己顕示するのがプロというか、その仕事でお飯食うってこと。あ、実際に稼ぎが有る無しはあんまり関係がなくて、実績を積みかせねていく・いるってことが要点ね。
で、自分の矜持は善悪だの倫理的な側面は気にしてないの。スキャニングが著作権に反してようと、そこに自身の生きがいを覚えたって、そりゃ個人の勝手だよねと思う。ただ、スキャニングを己の使命・仕事だと思うのであればさ、そこいらに流通してる書籍なんてスキャンする価値あんのかね? 最近出たばっかで、ちょっと金を積めば誰でも手に入る流通量で、新装丁で再出版される可能性があるマンガなんて、スキャニングする価値あんの?って思う。しなくても、充分な量が出回るやん。自分の矜持に照らして考えて、スキャニングに自分が熱意を持っていると仮定してシミュレートしたらさ、下らないね。世の中にはもっと経年によって流通量が少なくて、それこそググってもタイトルが出てこないよな本だってあるわけよ。レアじゃなくてド・マイナーってこと。そゆのを電子化することで永遠の命を与えてやりたいなぁ、と思わなくは無い。だって、持ってる人、見てる人なんて現在だと自分以外に何人いるかも分らないんだぜ? 酸性紙なんてドンドン朽ちてくんだぜ? そゆのを居た堪れなくてスキャンする気持ちなら、痛いほど分る。
ただ、ま、自分の矜持と他人の矜持が同一であるわけでもなく、また自分の矜持が唯一正義なんてわけもなく。「そう思ったんよ」ってそんだけ。
●ただ、電子化させてやりたい本ってのは
今のところ出会ってないだけで、絶対に出会わないとは限らない。よっぽど古くて、よっぽど数が少なくて、よっぽど自分好みじゃないとなー。でも、そん時は、スキャンするなり、手打ちするなりしないとは限らない。昭和初期の本だったら、多分、著作権ウンヌンで苛まれたりはしないね。苛まれるとしたら、まず己の飽き性にだな(ry。
●逆に葬ってやりたい本ってのもある
どデカイ美術全集や超有名作家の文学全集とかなー。田舎の応接間に飾ってあったりすると「捨・て・ろ・よ♪」と思う。あゆのは大概似たような商品がゴロゴロしてるし、また同じような商品を出版社が出しまくってお飯のネタにするわけだ。印刷や装丁はキレイだったりするんだけど、その本が持つ固有価値なんてのは、ゼロに等しかったりするわけで。読んでるなら別だけど、ほとんど飾りやん。インテリア目的なら装丁が凄く豪華な本を置け。タイトルでお利巧さんに見せたいわん♪なんて思惑透けて見えるような、そこいらに転がってる量産品は置くなよ。
あと、本ってのは適当なタイミングで葬ってやるもんだと思ってたり。よっぽど自身にとって価値がある、変わらず価値があり続ける本は別にして、同じよな内容がまた手に入るのなら、んなもん捨てろと。不思議と本を後生大事にする気持ちはないらしい。状態についてもそだな。多少汚れていようが、虫に食われていようが、酸化していようが、読めりゃいーんだよ。読んで、吸収して、反芻して、味がなくなったら捨てろと。
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